螳螂拳クラスでは長拳螳螂門を学びます
日中武道研究会中部支部は、台湾武術界の至宝とも称された高道生老師によって創始された、長拳螳螂門の日本国愛知分会でもあります。
長拳螳螂門は、螳螂拳をはじめ長拳、少林拳などの門派や数多くの武器術を合わせて学ぶ、武術の総合門派であるといえます。
私たちが毎年台湾に通い、また日本に老師をお招きしてきたのは、その武術の素晴らしさだけではなく、人格の素晴らしさに感動したからです。
老師の武術を学ばれた方は、台湾や日本のみならず世界中で活躍しておられます。
【高道生老師について】
高道生老師は民国4年(1915年)、山東省即墨県でお生まれになり、幼い頃に青島市に移住されました。12歳の頃より武術を始められ、螳螂拳発祥の地ともいわれる労山にある華厳寺という寺に入り、そこで長拳、地功拳等を学ばれました。そこで3年間修業した後に下山され、青島に戻られました。その後、当時青島市にあった青島国術館という大きな武術団体の第37練習場でも修行されました。この頃、林金亭老師に長拳を、方中慶老師に地功拳を、孫立鐸老師に少林拳を学ばれ、また七星螳螂拳の名師であり青島四大金剛にも数えられていた王松亭老師について螳螂拳や奇門兵器を学ばれました。現在、高老師の武館には、王松亭師爺の写真とともに位牌が祀られています。
民国26年(1937年)、高老師は軍に入隊、抗日戦に従軍され各地を転々とされました。そして国共内戦の時には国民軍党に参加され、民国37年(1948年)に大陸に妻子を残したまま、蒋介石と運命を共にして単身台湾に渡られました。台湾には多くの武術家が渡ってきていましたが、その中には王松亭老師もおられました。高老師は青島で王松亭老師に師事していましたが、当時は軍務に追われていた為、本格的に教えを受けることになったのは台湾に渡ってからのことのようです。高雄要塞司令部、陸総康楽田大隊を経て、高老師は民国50年(1961年)に退役され、同時に「新生国術館」を設立して、武術の普及に努められました。そして民国66年(1977年)、劉宗九将軍を名誉主任、高道生老師を主任、総教練として独自の門派「長拳螳螂門委員会」を設立され、自らの修行と後進の育成にその生涯をかけてこられました。民国91年(2002年)、長拳螳螂門は政府直轄の「長拳螳螂門協会」に昇格し、高老師は協会理事長に就任されました。、
高道生老師は2008年秋頃、静養のため故郷の青島に戻られ、その年の12月18日に永眠されました。享年93歳でした。
日本では、日中武道研究会主催の高道生老師を招聘しての特別講習会を1985年から2005年までの21年間続けてきました。現在は長拳螳螂門合宿として各分会が集い、老師の武の精神を学びながら練習に励んでいます。また訪台研修団は毎年5月に台北の武館を訪れ、武館を継いでおられる師兄方との交流を続けています。
★1991年高道生老師来日時観光にて(向かって左から、高道生老師、小嶋龍雄中部支部長、現長拳螳螂門協会理事長・張景暘氏)